ぶどうの木のあれこれ

カウンセリングルーム『ぶどうの木』へようこそ。

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心の姿勢  

春です。

4月の予定を載せました。ご確認どうぞ。

まだ肌寒い日は多いですが、無事に桜は咲きましたね。 もう大事だいぶ散って、今度は若々しい新芽が出てきましたね。

春は、何となく嬉しいような落ち着かないような、ソワソワする時期ですよね。

      菜の花


こんな春の時期だからこそ、体のみならず心の健康も保ちたいですね。
心の健康は、体の健康にすぐ連動します。
ストレスや精神的な疲労が蓄積して長く続くと体にも影響し様々な不調を来たします。

心が不調のままずっと続いている状態は、単純な言い方をすれば、自分の本当の願いであるはずの思い(ポジティブな思い)をなかなか自然に持てない(あるけど、なかなかうまく思うことができない)ことが多いのです。
これは、あたりまえのことかもしれませんね。

「精神的に疲れている」
「調子が悪い」
「ストレスがたまっている」

こういう出てくるネガティブな気持ちにとらわれ、この思いから抜け出そうとしても、抜け出せず、かえって、こういう言葉ばかりを口にしてしまいます。
「ネガティブな気持ちにとらわれる」というのは、「なんだかネガティブな気持ちにしがみついてしまう癖がある」と言い換えてもいいかもしれませんね。

ただ、一方で本人は、「こんなにネガティブな思いにしがみついても良くはならない」と、どこかで分かっている。
「だから、ポジティブに考えなきゃいけない」と思う。だけど、「『そう思わなきゃ』と思えば思うほど辛くなり、余計ネガティブな思いが出てきてしまう」という悪循環にはまることがありますよね。

こういうネガティブな気持ちは出てこないように、といくら思っても、どんどん出てきてしまうので、ネガティブに思ってしまうのも仕方ないし自然なことです。
ただ、ネガティブな気持ちを思ってしまってもそれは仕方ないのですが・・、その思い止まりのまんまだと心は不調のまま。
さて、どのように思ってみたらいいのか・・。


ネガティブな気持ちは出てきてしまうし、「それは仕方がない」という思い方。「こんな思いは、まああってもいい」という思い方。

そんな思いにつなげて・ 「じゃあ自分はどうなりたいのか」という自分の願い、いきたい方向の気持ちを思ってみるようにするのです。

「心が疲れてきちゃったなあ」
「調子が悪いなあ」
⇒ 『そんな思いがでてくるのも仕方がない』

続いて・・
「だから、心が健康になりたい」
「いきいきと心が元気でありたい」

というふうにです。
こうやってネガティブな思いを持ってしまったら、「そう思うのも仕方ないよね」って否定することなく、そのまんま続けて、ポジティブな思いを繋げて思うようにしてみるのです。
こうやって思うことをすると、そんなにキツクなく、ポジティブな思いを思うことができませんか?。

わたしたちは、『ポジティブ・シンキング』ということは大事にしますが、こういった思いを無理に思おうとすると、心が無理でキツクなり、逆にネガティブ・シンキングが増殖する、という視点も大切にしています。

一方、「ネガティブ・シンキング」は、その人にとって悪く作用するだけのものではないということも事実です。
上のように、「ネガティブ・シンキング」を無理のないあり方で思えるようになると、心が楽になり、ポジティブ・シンキングが思いやすくなり、たやすく転じることだってあるのです。

このように、心は、ポジティブとかネガティブとか思いや気持ちの『内容』だけが影響するものではでなく、ポジティブ、またはネガティブな気持ちを、『どのように思ってみればいいのか』という『思ってみる仕方』によって楽になったり、苦痛になったりするのです。

こういう視点を大事にする心の理論を、「仕方論」とか「体験の仕方論」といっています。

単に、「ポジティブな気持ちだから良い」とか、「ネガティブだから悪い」とか、そういう括りだけで心のことを理解しても、なかなか苦痛から解放されることはないでしょう。

もっと大事なことは、

・ポジティブな思いを、その人が「どのように思ってみれば、楽になるか(自然で無理のない状態になるか)」
・ネガティブな思いを、その人が「どのように思ってみれば、楽になるか(自然で無理のない状態になるか)」

ですね。

心の「仕方」を理解するには時間がかかり、頭と心と体で覚えていくようなものです。

体の姿勢を治すことは時間がかかりますよね。
自分の体の動かし方や癖に少しづつ気づきながら、自然で無理のない姿勢を体得していきます。

心の「仕方」、「心の姿勢」といってもいいかもしれませんが、同じように、自分の思いや思い方の癖に気づきながら、自然で無理のない心の姿勢をつくっていくことが大事なことになります。

今日は、やや心の治療について、やや突っ込んだ話をしました。いやいや、なかなか心のことを言葉で表すというのは難しいものですね。


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category: ココロをつくる

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ことばとこころとこうどう。  

こんにちは。

最近は外出が多くなってしまい、なかなか落ち着いてルームでの仕事ができず、みなさんにご迷惑をおかけしてごめんなさい。

せめてものと思いで、ブログを綴ります。


今日は3.11。

あの日から2年が経ちます。

この短い間にも世の中は目まぐるしく変化しながら経過し、思い出せば、色々なことがあったような気がします。
政治、社会、世界、事件、学校、スポーツで、世の中が騒々しく変わり、ざわついています。

震災が起きて、2年が経過しました。

しばらくは、悲しみと喪失が世の中を包み込みました。そして、今もなおその状態が続いています。

本当に達成できているかどうかは別にして、復興、希望、絆、つながりという言葉が多く使われました。
多くの人がこういった言葉を支えにして、よろめくなか何とか毎日を生き、懸命に建て直すことをしていることも確かなことです。


人間の心は、言葉というものと同じものではありませんが、言葉によって、心が作られ、気持ちが生まれることも事実です。

復興や希望という言葉は、陳腐に聞こえるかもしれませんが、こういう言葉を使うことなくして、前へ行こうとする気持ち、人間らしい生活を取り戻す活力は出てこないでしょう。
もっと謂えば、復興を目指して行動している被災地の人々は、きっと「復興しよう」「希望を持ってやっていこう」と言葉で願いながら、毎日を送っていることでしょう。

人によっては「言葉だけ言っていても、行動しなきゃダメだよ」という思いを持つかもしれません。
しかし一方で言葉を使うことによって、行動が自然に生まれるという作用が人間にはあります。

言葉によって心が作られ、心が作られると行動が生まれるという構図です。

実感を持てなくても、すぐには行動に結び付かなくても、言葉だけでも自分が願うことを言葉にして、その言葉を繰り返し使っているようにしてみましょう。
そうすると、だんだんそういう気持ちが作られ根付いていきます。
そうして、気がつけば言葉に沿った行動ができているでしょう。

何気なく使っていますが、言葉は人間だけが持っている、とても力のある道具です。

もちろん、使いようによっては、否定的方向にも働いてしまいます。
昨今、いじめの問題が深刻化していますが、例えば、ある人の悪口を聞いているうちに、自分もその人の悪口を言わざるを得ないような雰囲気になる。
同調しないと嫌われるような不安を覚えて。
はじめは嫌いでもないのに、合わせるように悪口を言っていると、本当に嫌いな気持ちになっていき、だんだん無視するような行動をするようになる、というふうにです。

また、逆もしかりです。

嫌いだった相手のことを、「大目に見て、とにかくみんないるときぐらいは、合わせていこうか」と思うようにして付き合っていると、始めイヤイヤだったのが、だんだんそうでもなくなってきて、「好きではないが、この人もマアこんな面があって、それはそんなに悪くないな」と思えて、以前ほど苦痛でなくなる、というようなこともあります。

自分を変えたい、そんなに大袈裟でなくとも、気分を変えてみたいと思ったら、まずさりげなく言葉だけを変えて使ってみましょう。

そうです。力まず、何の気なしに。
そうやって続けるようにしたら、きっといい変化が現れてくるでしょう。

こういったことも、こちらでのセラピーの一部をなしています。

今ちょっと、クライエントさんの新規のご予約をセーブしていますが、こういったお話や心のしくみを聞いて、自分のために役立てたいとお思いの人はぜひこちらのルームへいらしてください。

4月からまた新規の予約をお受けする予定です。

よろしくお願いします。

category: 自己暗示

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春はあけぼの   対話ということ  

これから、三月に入ります。

このブログのよそおいも、少し早めに衣替えをいたしました。
これからも引き続き、こちらに来て楽しんで頂けたらと思います。
またコメントなどもご遠慮なくくださいませ。
皆さんといろいろやりとりができたらいいなと思います。

ところで、三月は「弥生」といいます。
「弥生」とは、「木草弥や生ひ月(きくさいやおひづき)」。
が詰まって、「弥生」となったそうな。

つまり、「草木がいよいよ(弥や)生い茂る月」ということ。

長くて寒い冬がようやく終わりを迎えます。

そして草木や花が生い茂り、満開になる暖かい春へと
季節は入っていきます。

暖かい時期は、冬のなかで閉じこもりがちだった体に生気が
満ち、元気になったり行動したくなりますね。

ですが、新たな季節の到来は、肩に力も入る時期。

なんだか元気だが緊張もする。
よく体も動くが、疲れやすくて眠くなる。
冬は静か、でも春は心がざわついて、何かイライラする
なんてこともあるかもしれないですね。

今、一年のなかで忙しさのピークを迎えている方、
また人生のなかでもっとも重要な決断を迫られている方もいらっしゃる
でしょう。
そういう時期ですね。今ぐらいの時期は。

   チューリップ

一人で考えをあたため、じっくり熟考して考えをまとめていくのも
いいかもしれません。
ただ、焦ったり、何か必要に迫られて物事を決めても
うまくいかないことが多いようです。
やはり、焦らずゆっくりと、着実に自分の心のなかに
答えらしきものがはっきりとするまで、待ってみましょう。
自分の考えも、「熟成させる」と、また味わい深く
自分にとってぴったりくるようなものになっていくようです。
深呼吸をして、体をリラックスさせた状態で、いま迎えている
重要なことを考えてみましょう。そうやってボンヤリと
考えを浮かべるようにしてみる。考えを、無理やり意志で
何とかしようとすると、力が入っていいものがでてきません。
むしろ、「この考えや気持ちもそのうち何とかなっていくでしょう」
と思って、そうしていくと、考えが勝手に進んで自分が
望むほうへと自然と向かっていくようです。


また、何か「決断する」までの時期、自分の考えや気持ちを
誰かに話してみて、聞いてもらうというのも一つのやり方ですよね。
「対話する」ということ通じて、自分の考えや思っていることを
とにかく話してみて、言葉にしてみる。
自分の気持ちを言葉にして、輪郭をつけて形にしていくと、
「ああ、自分にはこんな気持ちがあったんだ」とか「この気持ち
は確かに自分が望んていることだ」もしくは、「これはひょっと
して自分が望んでいることではないのかも」というふうに、
自分の心にあることが、いろいろと分かってくるでしょう。

    つくし

そして、対話していくと、自分の気持ちのなかに、「新しい気持ち
が生み出される」、「作られていくこと」もあります。
もともと在った気持ちを話すことをして、動かしていく。
また在ったようで無かった気持ちを生み、作っていきながら
さらにその気持ちを意識してみる。それが自分の望みだったり、
本当に自分に期待したいことだったりします。
対話というのは、人の助けを借りながら自分の心をさりげなくうかがい、
自然に新たな気持ちを生みだしていく、人と人とのたいせつな営みです。

カウンセリングも対話の場。
カウンセリングに来られた方も、こうやって話しているうちに、
「自分にはこんな気持ちがあったんだ」
とか「話しているうちに、だんだんこんな気持ちが出てきた」
と言われることがとても多いです。
カウンセリングとは言っていますが、私は自分のカウンセリングを
そんな、人と人とがやっている自然で何気ない対話に近いものを
目指しています。

   
「答えをだす」、「結論を求める」ということは、とりあえず置いといて、
思っていることを、つらつらと話してみる。
話すということは、自分が思っていることを相手に伝えることですが、
それ以上にたいせつなことは、「自分が自分に語りかけている作業」
でもあります。そうやって、人に話しているようで、自分に語りかけ、
何気なく、自分で気づいた望んでいること、期待していることを言葉に
していくと、それだけでも心は安らぎ、またやわらかな春の日差しを
浴びる時のように、暖かく、明るくなっていくこともあるかもしれませんね。

category: 対話ということ

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カウンセリングの土台  

巷では、今年は16年ぶりの冷夏になるとか。
エルニーニョ現象で高気圧が発達しにくいとか、いろいろ流布されていますが、横浜は今日熱くなりそう。さっき、外へ出て少し歩いただけで汗びっしょりになりました。

いやいや暑い暑い~。
でもクーラーの効いた冷えた部屋に居続けると、だるくなったり、頭が痛くなったり。体調を整えるのが難しいこの夏の時期。
バランスを崩さないように、うまく心身のコントロールをしていきたいものですね。

さてと・・
今日は、真面目に語ってみようかと思います。
(別にいままでもマジメでしたが・・)

「カウンセリング」という言葉は、゛counsel″という言葉が源になっています。counselは、「相談・助言する」という意味だそうです。
しかし、実際のカウンセリングでは、相談者(クライエント)が、困ったことを相談しカウンセラーが明確な助言やアドヴァイスをするという単純なやりとりで成り立っているわけではありません。

つまり、カウンセリングは、クライエントの悩みをカウンセラーがじかに解決するということではないのです。カウンセリングを受けたことのない方は、このあたりのニュアンスをつかむのは、容易なことではないかもしれませんね。
「あなたのお悩み、何でも解決します!」という大風呂敷を広げて、占いめいたこともやってみたいとも思うのですが、残念ながら我々はそういう職業ではないのです。
こんなふうに、堂々と言っているカウンセラーもいないこともないですが、そんなことを簡単に言ってしまう人ほど、我々からみたら、かなり胡散臭いか、カウンセリングを間違って理解したままで実践している方と言わざるを得ません。

カウンセリングの方法論については、様々な視点がありますが、まず言えることは、カウンセラーがクライエントの悩みを解決するのではなく、クライエントが語る言葉から、カウンセラーがクライエントの心を理解して、その理解にもとづいて、クライエントが自らの心を見直し、自らの気持ちを収めていく過程であると言えます。
ですから、カウンセリングというのは、カウンセラーがクライエントの話を聞き、理解することによって、クライエントが自分の気持ちや思いを自ら捉えなおし、自ら楽になっていくことができるように支えていくというのが、真髄です。

             ひまわりと夏空

カウンセリングは、おおよそ対話によって進められていくものですが、そこに話された「言葉」はその人の心そのものではない。そのことはお分かりだと思います。
しかし、カウンセラーは、クライエントの言葉から、思いや気持ちを理解し、その人の心の全体的なありようをつかむように対応していきます。もちろん、カウンセラーは魔術師ではありませんし、またそのクライエントそのものになりきることはできませんから、すべてを理解し、100%を理解することなどはできません。

しかし、なるべく正確に、クライエントの思いや痛み、願っていることを把握しようとしますが、カウンセラーが一方的に断定したり、考えを押し付けることはしません。

「あなたの気持はこうですね」
「あなたの心はこんなふうになっているんです」

と言ってしまうと、これはカウンセリングではありません。言葉を一つでも間違ってしまうと、まったく違うニュアンスの伝え方になってしまい、こんなふうに言われたクライエントは自分の心のなかを土足で踏み荒らされたような気持ちになってしまうのです。

「心を理解していく」プロセスというのは、基本的にはクライエントとカウンセラーがお互いで確認作業を丁寧に進めていき、そうして小さくても少しづつ積み上がったものを、そのつど立ち止まりじっくりと眺めていく過程です。
ですから、「今あなたがおっしゃったのは、こんなふうに思えるんですが、違いますか?」「こういう気持ちを持ってみたいなとおっしゃっているような気がするんですが、どうですか?」という質問を、カウンセラーがちょいちょい投げかけると、それを足がかりにしてクライエントは自らの気持ち、思いを眺め、確認していくようになります。
上のような、質問の仕方は『提示法』と言って、文字通りあくまで提示。クライエントが「その通りです」と言ってもいいし、「そうじゃなくて、こういうことで」と言ってもどっちにいっても構わない。そんな選択幅の広い応答や質問をしていって、クライエントがどこでどのように引っ掛かっているのか、少しづつ探りながら、対話を続けていきます。

さっきカウンセラーが理解するといいましたが、それはとどのつまり、クライエントが自分で自分の心を理解することを助けることが目的だとも言えます。こうやって、クライエントは自らの心を理解できるようになってくると、自分がどこで行き詰ってたとか、何に引っ掛かっていたかなどがよりはっきりと分かり、結果的に「腑に落ちる」という状態になります。
「腑に落ちる」という体験は、心の安静や沈静を促し、それまで落ち着かなかったり、イライラ・ソワソワしていた気分が、す~っと収まってきて、少し楽な感じを促すことにまります。

HPの方で、カウンセリングのプロセスを「巻きなおし」と例えましたが・・・悩んで苦しんでいる心のなかというのは、もつれてこんがらがった糸のかたまりのようなもの。それには、ゆとりをもって、焦らず、力を入れずに少しづつ糸を緩めるようにして、ほぐしていきます。もつれた糸の状態に耐え切れず、無理に引っ張ると余計ひどくもつれたり
どうしようもない状態になります。だから、丁寧に、どこの糸がどの糸と不自然にくくりあっているかを、丁寧に確認しながらほどいていくのです。
ほどいていくのは、あくまでクライエントです。カウンセラーは、クライエントのほどき方を見ながら「その糸は、そっちのなかへくくるといいかも」など、邪魔にならない程度の加減で一緒に見ていきます。時々まちがえて、邪魔をしてしまうこともありますが・・。

            ねこ


だいたいこんなところが、カウンセリングの土台でしょうか。
こうやって、なるべくきちんと伝えようとすると、カウンセリングとはイメージとはちがってやけに地味、地道な作業と見えるかもしれませんね。でも、『心』というとても繊細で、誰にとっても大切なものを扱うわけですから、地味なプロセスこそが安全で確実な方法と言えるかもしれません。

今日は、カウンセリングの土台部分について、お話をしてみました。
土台ですから、私独自のカウンセリング技法の全体像ではありません。
しかし土台は、全体を支えるもっとも重要な根幹部分です。ですから何かとカウンセリングに対して不安や誤解をお持ちの方が多いので、きちんと説明をしようと思い、つい長々と書き綴ってしまいました。お分かり頂けましたでしょうか。

私のカウンセリング理論の立場や技法は、また次の機会にじっくりご紹介しようと思います。
まあ、それもまたかなり専門的なお話になりますから、希望される方だけにじかに時間をとってゆっくりお話をしても、いいかもしれないですね。

今、お悩みをお持ちで、またきつくなっていたり、混乱している方は、こんなカウンセリングの体験をして、自分の心をゆっくり眺めてはいかがですか?

あなたらしい答えが見つかるように、ちょっと後ろのほうを歩きながら、支えていきます。

どうぞ、ご気軽に連絡をください。


長々とした今日のお話、ここまで読んでくださってありがとうございました。

category: カウンセリングの土台

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あるがままに  

先週週末は、はっきりしない天気でしたね。
でも、昨日と今日は春の陽気が気持ちいいです。

先日土曜日には、旧い友人や親類、昔の仲間と会い、
とてもいい時間を過ごすことができました。
時間が経った分だけ少し自分も含め、齢をとったなあと感じたけれど・・
会えば昔の気持ちがすぐに蘇えり、長い時間とても暖かい時間を
過ごすことができました。
また、みなさん横浜へ来てくださいね。

さてさて
話題をガラリと変えて、今日は「あるがまま」という、よく使われる言葉に
ついて考えてみましょうか。
どういう意味の言葉なんでしょう。「あるがまま」
「なりゆきに任せる」「そのままを受け止める」「そういうもんだと自然な気持ちにまかせる」
そんな意味として使われているでしょうかね。
なんだか、漠然とした曖昧な、雲をつかむような意味ですね。
どういうことなんでしょう。「あるがまま」
私も分かっているようでいて、あまりきちんと理解していないので、
こうやって書きながら日常の自分を思いながら、またカウンセリングでクライエントさん
とのお話で薄ぼんやり考えたことを整理しながら、ゆっくりまとめていこうと思います。

逆のような意味の言葉はなんでしょうね。
「無理をする」とか「頑張る」ですかね。

私たちは、たまに自分のことを考えます。
「自分はこういうことをやっていて」とか「自分はこういう時が好きで」
「こういう人が好きで」
または、「自分はこんな気持ちになって・・」という言葉もつぶやきます。

「うれしい」「楽しかった」「好き」なんていう、心地よい感情のときもあれば、
「悲しい」「苦しい」「疲れる」なんていう、心地よくない、嫌な感情になるときもある。
そうですよね。こういうマイナスな感情を感じることも当たり前です。人間なんですから。

でも、たまに私たちは苦しい状態が続いているとき、「どうしてこんなに悲しいんだろう」
「どうしてこんなに苦しいんだろう」「疲れるんだろう」と自分に問いかける、問いかけ続ける
探り続けるときがあります。

「どうして人前でしゃべると緊張するんだろう」
「この人といると、どうしてイライラするんだろう」
「どうして、この人達の話を聞いていると、疲れるんだろう」

『どうして?』『なぜ?』と問い続けます。探り続けます。つまり原因追求の態度が
身についてしまうときがあります。
でも、いかがですか?「どうしてこんな気持ちになるのか」と考えても、また人に
「どうして・・どうして・・」と問い続けて、あなたはもっと苦しくなりませんか?
そして、問われた相手はあなたの質問に答えることができず苦しい思いをしている
とは思いませんか?
「どうして?」という原因追求の態度が身についてしまうと、それは錐(キリ)のように
自分のこころに深く亀裂を入れ続けることになります。

「なぜ、悲しくなるのか」
「なぜ、緊張するのか」
「なぜ、疲れるのか」

人前にいたら、人間ならば誰でも緊張します
悲しいことがあったから、悲しいことが蘇えるから、悲しいのです
重い話を長時間聞けば、人間ならば誰でも疲れるのです
これらは、普通の自然な人間の生理的な反応です。

「疲れる」「悲しい」「苦しい」と感じていて、それがしんどい状態になっている人は、
どこかで「それは何か自分に問題があるんじゃないのか」と思っていませんか?
問題は、「疲れる」「悲しい」「緊張する」ことではなく、それが「なぜ起こってしまうのか」
と探り続ける、原因追求してばかりいるあなたの態度であり、自分の心のなかで先の見えない
ブラックホールのなかを懸命に走り続けているのではないですか?
それが、「より悲しくなり」「より苦しくなり」「より疲れている」ことになっていませんか?
それらしい答えのようなものを聞いても、あなたは納得しないでしょう。

でも、おそらくそうやって、走り続け、懸命に悶えながら這うようにして、「答え」を見つけようと
している姿もあなたなのでしょうね。
おそらく、そうやっていないと、自分が保てないほどに辛い体験をしてきたんだと思います。

しかし、もう自分に対して、相手に対して「なぜ?」という構えで、生きていくことをそろそろ
変えてみませんか?

「人前にでたら、そりゃ緊張するわな」
「疲れる話を聞いていたら、それはくたびれるじゃん」
「こんなことがあったら、悲しいよ」

そんなふうに自然に、
「あ~~そういうもんだよなあ」「こ~んな気持ちになるし、あっていいんでしょう」
「そりゃ、当たり前か」
慣れていない人は、こういうふうに、自分で自ら『思ってみること』が大切でしょうね。

「なんで???」「どうして??」は、アリ地獄にはまります。だから、それちょっと上のように
変えてみましょうか。
こういうふうに思うことが慣れてくると、だんだんそういう姿勢が身につき、そしてそういう生き方
になっていきます。こんなふうな状態や、姿勢や態度が「あるがまま」という感じじゃないですかね。
「あるがまま」を自然に感じられるようになると、安定して穏かな態度になってくるでしょう。

でも、決して焦らないでくださいね。
時には、前のようなガンバリ態度にはまりつつも、時々「あるがまま」の思い方をしてみれば
十分です。すこしでも体験していれば確実に身についていきます。
こころとは、「からだ」のようにとは違って、そうやすやすとは変わったり、治ったり、回復する
ものではありません。むしろゆっくりと時間をかけないと、「あるがまま」の姿勢は身に着けません。
だから、ここはひとつゆったりとじっくりとやっていきましょう。それがいいです。



あ~、なんだか今日は講釈を垂れすぎました。ごめんなさい(笑)。
昨日聞いていた、ジョンレノンのlet it beの音楽が残っていてつい長くなってしまいました。
ご容赦を。

category: あるがままに

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