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ぶどうの木のあれこれ

カウンセリングルーム『ぶどうの木』へようこそ。

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希望 ~ 岩手より  その3  

東北地方沿岸で、3月11日に大地震が起きました。

巨大な津波が発生し、沿岸の町を襲い破壊していきました。

私が今回、一時勤務した学校の生徒や教員の家も、多くが流され壊れてしまいました。
いま現在も、避難所生活を続け、避難所から通学する子どもたちがたくさんいます。先生や子どもたちは毎日、壊滅した自分の町を通りながら、学校に通っているのです。
その様子を見ている子どもたちの心はどんな状態なのでしょうか。
想像すると、とても痛ましく、悲しくなってきます。

自分が生まれ、住んでいた町が無くなり、家族を失った子どもたち。

その子どもたちは、毎日毎日欠かさず学校に通い続けています。
学校に来て、友達や先生と会い、遊んでいます。


そんな子どもたちを前に、私は何を話せば良かったのでしょうか。

私の授業では、子どもたちが今回の震災を経験し、どのような思いで学校に来るようにしているのか。
そのことを子どもたちの心で分かるように話し、そして未来に向けて、震災で経験したことが大人になったときどのように生きるかを話しました。

6年生のクラスです。

「君たちは、大地震が起きたときから、ほんとうによく頑張ってきたね。怖かったね。悲しかったね。苦しいね。でもそういう嫌な気持ちを持ちながらでも、なんとか学校に毎日来て、頑張っているね。偉いね」

「でも何のために自分が頑張っているのか、自分で分かっている?」と質問すると、一瞬沈黙しました。そして、数秒後に一人の男の子の手が上がります。

「新しい町を作るため!」と元気良くこたえました。
聞いていた先生たちが、驚いたようにどよめきます。

そして話は未来へとすすんでいきます。

「君たちは、これから先生たちみたいに大人になっていく。今回の大震災のことは、きっと忘れないでしょう。今は本当につらいかもしれない。でも大人になったとき、あの地震を経験したから自分は優しくなれたとか、しっかりするようになれたとか、人の痛みとか悲しみがわかるようになった、ということが必ず分かるときが来ると思う」

失ったものは果てしなく大きいかもしれない。

でも・・でも・・
この震災によって、子どもたちが誰も教えてくれないような大事なものを得たことも確かなことでしょう。
そう子どもたちに教えていくのが、大人の義務であり、どのような悲しみに出会おうとも、その果てにはかならず希望の光があることを語って聞かせていくこと。
震災支援によって、私が伝えなければいけないことはこれだったんだと気づきました。


最終日、3年生のクラスで授業を行いました。

「いろんな人と仲良くなろうね。友達になろうね」
「悲しみを乗り越えていくためには、『僕はいろんな人とつながっているんだ』という気持ちを大事にしていくこと」と話すと、一人の男の子が立ちあがって、私を指さし、

「じゃあ、先生ともお友達になっていい?」

「もちろん!友達になろうよ」

という話に進み、担任の先生がこのやりとりを面白そうに見ていて、
「じゃあ、カウンセラーの先生に質問したいこと!」
と子どもたちにふります。

「先生、彼女はいるの?」
こんなおっさんになんつー質問するの。

とか、「趣味は何?」

「学生時代、何人の女の人にふられましたか?」
とか、わけのわからん質問が飛び出す飛び出す。クラスに笑いの渦が巻き起こり、大盛り上がり。

途中で時間が来てしまい、
担任の先生のはからいで、そのままみんなで校庭になだれ込み3年生クラスと私で写真を撮りました。

そして、クラスのみんなと一人づつ握手をして、そのまま学校に別れを告げました。


帰り道、おさえていた感情が噴出し、とめどなく涙が出てきて、しばらく収まりませんでした。


この岩手の被災地での活動は、生涯忘れないでしょう。いや決して忘れたくはありません。
被災地で活動した記憶、子どもたちの笑顔は、私の確かな希望の光として、これからもずっと支えてくれることでしょう。


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category: 被災地支援活動

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希望 ~ 岩手より その2  

私は岩手沿岸の市の学校支援にむかいました。

担当になった学校の校舎は、壊滅した町の奥にポツンときれいに残っているのです。
複数の学校の担当になりましたが、一つの学校の校舎は、一階だけ浸水したそうです。もう一つの学校もすぐ近くにあるのですが、グラウンドまで津波が来たようです。しかし、校舎までには津波は到達していない。そんな学校の担当になったのです。

学校の敷地から出ると、もう目の前すぐが壊滅した町なのです。

その学校に入ると、子どもがたくさんいました。
体操着を来て元気に校庭を走り回っていました。

不思議な光景です。
子どもたちが元気よく走りまわっているすぐそばが、壊滅した町なのです。

まず何だか倒錯したような感覚に陥りはましたが、学校に到達する前に壊滅した町を嫌というほど目の当たりにしたので、元気な子どもたちがいる普通の学校のなかに入り、私はひどく心が安らかになっていくのを感じました。

先生によると、この学校の子どもたちの多くが家を津波で流され、全壊したようです。そして親が津波に襲われ亡くなった子もいるとのことでした。

家族を亡くし、自分の住んでいた町が無くなり、一人一人の子どもの心はとても痛んでいるでしょう。

でも、子どもたちはそれでも学校に来て笑顔でみんなといる。
そうやって子どもたちが一生懸命生きている姿を学校で見たとき、私は本当に涙が出てきそうになりました。

学校では、子どもたちと心理士としてカウンセリングをやるという意識はまずすぐにぶっとびました。

とりあえず多くの子どもたちと遊ぼう。まずそれが頭に浮かび、体は勝手に動いていきました。

学校の先生たちははじめて私の姿を学校で目にしたとき、訝しげな眼差しでした。そして、その地区は取材陣、報道がしょっちゅう来ているせいか、外部対応に嫌気がさしているようでした。当然県外から来た私には警戒するでしょう。それは当り前のことです。

しかし、岩手まで来て遠慮してなんかいられない。
体は勝手に動いていきました。そして先生には私が子どもたちと遊んでいる姿を見てもらおうと、体育の授業に参加したり、鬼ごっこをやって、とにかく縦横無尽に校庭を走り回りました。

久しぶりに全速力で走ったので、ヘトヘトになりました。
40過ぎてのランニングはきついです。
でも、まあ子どたちは元気なこと。自分が鬼になって、オーソドックに手を挙げて「グオー!待あて~~!」と恐ろしげな雄たけびを上げながら追いかけると、子どもたちはキャーキャー大喜びで逃げていきます。
また体育の時間のあるクラスに参加して、鉄棒を一緒にやって、またヘタリました。
でも子どもたちはこんな私のアホな姿に喜んでくれました。
給食もでて、クラスに入り子どもたちと一緒に食べました。
子どもたちの姿は、遊んでいるとごく普通の子どもの姿。


何回か私にもクラス単位で授業を持たせてくれました。心理教育の授業です。

「大変なことを体験したね。悲しかったり、怖い気持ちにたくさんなったね。でもよく頑張ってきたね」

「悲しいけれど、辛いけど、みんなとつながっているんだと思うようにしようね」

「僕たちは学校にくれば友達が一緒にいる。先生もいる。こういう人たちとつながっているんだという気持ちを大事にしよう」

「僕たちは、悲しみや苦しみを乗り越えていくために、みんなとつながっていくことを大事にしよう」

そんなメッセージをこめて、話をしていきました。
子どもたちは、遊んでいる姿をとは打って変わって、真剣に私の話をじっと聞いています。
ときには、涙を浮かべながら話を聞いている子どももいました。
その子どもたちの必死に話を聞く姿に、私はまた胸が詰りそうながら、話していきました。

先生たちも、私の授業に参加してくれました。
やはり、真剣に聞いてくれました。

どこぞの県のカウンセラーだか、素姓のわかりにくい人間の話を、子どもも先生もみんなが一生懸命聞いてくれたことは、どんなに嬉しかったでしょうか。

こんなふうに、私のカウンセラーとしての役割を、岩手被災地での学校にて、進めていきました。

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希望 ~ 岩手より   

ごぶさたをしておりました。

5月9日から14日まで、約一週間、岩手の被災地へ支援活動に行って参りました。

今回の活動は学校支援。

4月に岩手の教育委員会から派遣要請がありました。
私はスクールカウンセラーの経験があり、またここ神奈川でも犯罪、災害や事故の被害者支援の仕事にも携わっているので、今回の派遣要請に参加することになったというしだいです。

岩手の太平洋沿岸の被災地は、想像をはるかに超えた状態でした。

町は破壊され、壊滅していました。
壊滅のしかたは、地区ごとにさまざまで、家々や建物の多くが半壊の状態になっているところもあれば、町全体がすでに建物がほとんどなく、ところどころに瓦礫が積み上がっている状態のところもあれば、すでに大方更地にようになっていて、大地が不自然にむき出している状態になっているところもありました。

私は、町がほぼ壊滅している地区の担当になりました。

そこにポツンと学校だけが残っている。そんな地域に行ってきました。

はじめてそこの壊滅した町の中を通ったとき、全く言葉を失いました。
自分の視界にあるその光景が、灰色がかった壊滅した町の様子は、とても現実のものとは考えられませんでした。私は、何か夢のなかにいるような、頭の中がぼんやりとして、そこに自分がいるはずなのに自分が居ないような感覚、いわば「離人感」ような感覚にしばらく陥っていました。

この町には、以前は、家や店やいろんな建物が立ち並び、道があり、人々が歩いていたり、自動車が通っていたり、人々が当たり前にように暮らしていた普通の街があったんでしょう。
それが、無くなっているのです。
建物の残骸だけが残っているこんな光景は、外から来た私でも「到底受け入れらない」という、心のシグナルが強く鳴り響き続けます。外から来て、はじめて来た場所なのに不思議な強い喪失感、非現実感に取り込まれてしまいました。

この体験は簡単にはとても表現しきれないほどの心の状態であり、とても複雑に入り組んで、整理できるまでにはまだまだ時間がかかりそうです。

とにかく、外から来た私がこんなにも喪失感を覚えるのに、この町に住んでいる人々の気持ちたるや想像なんかまるで及ばなかったです。

「町や住んでいた生活環境は、人間の人格の一部をなしている」とある先生が言っていましたが、ようやくその意味が体感的に分かったような気がします。

生まれ育った町、いつも通っていた道、人々が行き交いおしゃべりしている声や音、お買い物に行っていたお店、そこに共に住んでいた家族や友達や近所の人や、お店のおばちゃん、おじちゃん。田んぼや畑の風景。様々な生活の雰囲気とにおい。
私たちが育っていく過程で、あたりまえのようにそばに居てくれた町や人々、風景。

それが無くなってしまうという体験は、自分の一部が崩壊していくような感覚なるということに近いでしょう。

その町に住んでいる人々は、今じんわりと悲しみや自分の家や町を失ったという空虚感を強く感じています。

外からやってきた私が、この悲しみ包まれた町で、何ができるでしょうか。
その根本的な問いが、その町に足を踏み入れてようやく実感として、自分の心にのぼってきました。

その後につづきます。

ゆっくり綴っていきます。

category: 被災地支援活動

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