ぶどうの木のあれこれ

カウンセリングルーム『ぶどうの木』へようこそ。

自分がカウンセラーとして・・  

久しぶりに更新します。

8月も半ばを過ぎ、お盆休みも終えて、まだ夏だから
確かに暑いことは、暑いですが、朝夕は涼しくなりましたね。

私も夏休み取らせてもらい、実家の甲府に帰りました。
いやいや、甲府は暑いこと、暑いこと・・。
結局、外出もあまりすることもなく、クーラーの効いた部屋のなかで
じっとしていたような有様です。

今年の夏は、なんだか落ち着かない夏ですね
世相も、自然も、不安定。。そんな気がしませんか。
大きな地震が起きたり、台風による洪水、そして、世間は
選挙の話題でもちきり。覚せい剤とかも・・
ワサワサと感じるのは、私だけでしょうか・・

さてさて、前回の記事では、カウンセリングの土台部分のことを
詳しく書いてみました。
どんなふうに思われたでしょう。
「なんだ、そんなものか」とか、「へぇ~なあるほどねぇ」
「そんなことは、わかってますがな」などと、まいろいろあるでしょう。


              ごーや



見た方がいらっしゃるかもしれませんが、NHKでやっている「爆問学問」という
番組があります。つい先日では、爆笑問題の二人が東京芸大に行って、
芸大の生徒と教授陣と討論するという企画でした。

爆笑問題の太田は、芸大のなかで、生徒が作った様々な作品に
賞賛の声を上げつつも、生徒たちや先生に「なぜ表現するのか」という素朴な
疑問を投げかけていました。生徒と太田との熱いやりとりを食い入るように見て
いたのですが、太田は「お笑いであれ、芸術家であれ表現者は、より多く人に
自分の作品を生ですぐに見てほしいというのが、本質的欲求ではないのか」という
ことを強く語ります。「お笑いは、見てもらわなきゃ食っていけないという切迫感が
あり、それこそ自分の表現が自分の生き死に直接かかわっている」
といい、今の芸大の学生や先生の姿を見て、「こんなところに閉じこもっていて、
分かる人だけが見ればいいとか、自分の好きなことだけ表現してりゃいいのか」
と一喝します。

お金と時間を悠長に使って、生感覚の自分の姿や自分の表現者としての
生々しい創作過程を見せることに戸惑う今の芸術家の卵たちに歯がゆい感じを
覚えたんでしょうね。
しかし、私もこの番組の討論を見ていて、大いに考えさせられました。

私たちの職業も以前に比べて、だいぶ社会的に認知されてきたとはいえ、
まだ、多くの人にきちんとわれわれの専門性を伝え切れていないような気がします。
学会などにたまに言っても、同じような理論を持っている人同志がくっつきあって、
自分たちにしか分からない用語で、言葉を交わしあっているように思えます。
また、まだまだ密室性の濃いカウンセリングだけにこだわって、パブリックに自分の
専門性を一般の人や違う職種の人たちに、分かりやすく自分の考えを言葉で説明
することがおろそかになっています。
世間がこれだけ不安定になっていて、心の問題を抱えている人々が救いを求めて
彷徨っているのに、我々はもっとそのために今表現しなくていいのか、という思いが
突き上げてきています。


       スイカ




HPにも書きましたが、多くの人が持っているカウンセリングや心理臨床についての
イメージに微妙な違和感を覚えるときがあります。
カウンセリングでは自分の悩みを話し、カウンセラーが聞き、助言したり示唆したりはしますが、
そういうやりとりについて「自分はそこまでではない」とか「もっと問題が深刻でないと
受けてはいけないところ」という声をよく耳にします。この前も仕事で行っている高校生に
も同じことを言われました。また、「あんなものをやって何になるのか」ということも
今までよく言われました。
一般の人からみれば、我々の仕事はそんなふうに敷居が高く、日常の空間とは
かけ離れた場と思われているようです。私たちも表現不足だとは思いますが、
カウンセリングはどんな人にでも役に立つ方法であると思います。
教育、福祉、子育て、司法、産業、医療、犯罪被害、というようにあらゆる領域で
いま、カウンセリングは有効な方法であると、細々と認められてきています。
そして、どんな些細なことでもテーマになるし、受ける方が無理に話をしなくても、
この場に来て言語以外のことを扱う動作やイメージなどに焦点を当てた心理的な
アプローチもあります。

カウンセリングにおける言語を含めた対話をするということによって、クライエントはとりあえず
自分が背負った荷物を置き、そして、その荷物とはどういうものか、どんなふうに持てば
以前よりも楽にもてるのか、そういうことを自分で確認できていくわけです。
そういうことだけでもカウンセリングを受けた方はずいぶん気持ちが楽になるでしょう。

いやはや・・ちと熱くなりすぎました・・そしてまた長くなってしまいました。。
なあ~んて言っておいて、人一倍臆病で、ひと目や世間体を気にする私なので、
まったく自信はないのですが、すこしでも自分の今感じていること、今考えていることを
生で表現する、行動してみることを汗かきながらでもやっていこうと思います。

なにはともあれ、私たちは自分たちの立場や現状を超えて、もっと社会に貢献して
いかないとダメだなと、自戒もこめて痛感いたしました。

これからも、こういった様々なメディアをうまく使いながら、みなさまに分かりやすく
カウンセリングのことや、心のこと、そして自分たちの仕事のことなど、出来る限り
お伝えすることができればいいなと思っています。
とはいえども、怠けて更新するのが遅くなってしまいますが、どうぞ引き続き、
このブログを見ていただければと思います。

どうぞよろしくです。
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カウンセリングの土台  

巷では、今年は16年ぶりの冷夏になるとか。
エルニーニョ現象で高気圧が発達しにくいとか、いろいろ流布されていますが、横浜は今日熱くなりそう。さっき、外へ出て少し歩いただけで汗びっしょりになりました。

いやいや暑い暑い~。
でもクーラーの効いた冷えた部屋に居続けると、だるくなったり、頭が痛くなったり。体調を整えるのが難しいこの夏の時期。
バランスを崩さないように、うまく心身のコントロールをしていきたいものですね。

さてと・・
今日は、真面目に語ってみようかと思います。
(別にいままでもマジメでしたが・・)

「カウンセリング」という言葉は、゛counsel″という言葉が源になっています。counselは、「相談・助言する」という意味だそうです。
しかし、実際のカウンセリングでは、相談者(クライエント)が、困ったことを相談しカウンセラーが明確な助言やアドヴァイスをするという単純なやりとりで成り立っているわけではありません。

つまり、カウンセリングは、クライエントの悩みをカウンセラーがじかに解決するということではないのです。カウンセリングを受けたことのない方は、このあたりのニュアンスをつかむのは、容易なことではないかもしれませんね。
「あなたのお悩み、何でも解決します!」という大風呂敷を広げて、占いめいたこともやってみたいとも思うのですが、残念ながら我々はそういう職業ではないのです。
こんなふうに、堂々と言っているカウンセラーもいないこともないですが、そんなことを簡単に言ってしまう人ほど、我々からみたら、かなり胡散臭いか、カウンセリングを間違って理解したままで実践している方と言わざるを得ません。

カウンセリングの方法論については、様々な視点がありますが、まず言えることは、カウンセラーがクライエントの悩みを解決するのではなく、クライエントが語る言葉から、カウンセラーがクライエントの心を理解して、その理解にもとづいて、クライエントが自らの心を見直し、自らの気持ちを収めていく過程であると言えます。
ですから、カウンセリングというのは、カウンセラーがクライエントの話を聞き、理解することによって、クライエントが自分の気持ちや思いを自ら捉えなおし、自ら楽になっていくことができるように支えていくというのが、真髄です。

             ひまわりと夏空

カウンセリングは、おおよそ対話によって進められていくものですが、そこに話された「言葉」はその人の心そのものではない。そのことはお分かりだと思います。
しかし、カウンセラーは、クライエントの言葉から、思いや気持ちを理解し、その人の心の全体的なありようをつかむように対応していきます。もちろん、カウンセラーは魔術師ではありませんし、またそのクライエントそのものになりきることはできませんから、すべてを理解し、100%を理解することなどはできません。

しかし、なるべく正確に、クライエントの思いや痛み、願っていることを把握しようとしますが、カウンセラーが一方的に断定したり、考えを押し付けることはしません。

「あなたの気持はこうですね」
「あなたの心はこんなふうになっているんです」

と言ってしまうと、これはカウンセリングではありません。言葉を一つでも間違ってしまうと、まったく違うニュアンスの伝え方になってしまい、こんなふうに言われたクライエントは自分の心のなかを土足で踏み荒らされたような気持ちになってしまうのです。

「心を理解していく」プロセスというのは、基本的にはクライエントとカウンセラーがお互いで確認作業を丁寧に進めていき、そうして小さくても少しづつ積み上がったものを、そのつど立ち止まりじっくりと眺めていく過程です。
ですから、「今あなたがおっしゃったのは、こんなふうに思えるんですが、違いますか?」「こういう気持ちを持ってみたいなとおっしゃっているような気がするんですが、どうですか?」という質問を、カウンセラーがちょいちょい投げかけると、それを足がかりにしてクライエントは自らの気持ち、思いを眺め、確認していくようになります。
上のような、質問の仕方は『提示法』と言って、文字通りあくまで提示。クライエントが「その通りです」と言ってもいいし、「そうじゃなくて、こういうことで」と言ってもどっちにいっても構わない。そんな選択幅の広い応答や質問をしていって、クライエントがどこでどのように引っ掛かっているのか、少しづつ探りながら、対話を続けていきます。

さっきカウンセラーが理解するといいましたが、それはとどのつまり、クライエントが自分で自分の心を理解することを助けることが目的だとも言えます。こうやって、クライエントは自らの心を理解できるようになってくると、自分がどこで行き詰ってたとか、何に引っ掛かっていたかなどがよりはっきりと分かり、結果的に「腑に落ちる」という状態になります。
「腑に落ちる」という体験は、心の安静や沈静を促し、それまで落ち着かなかったり、イライラ・ソワソワしていた気分が、す~っと収まってきて、少し楽な感じを促すことにまります。

HPの方で、カウンセリングのプロセスを「巻きなおし」と例えましたが・・・悩んで苦しんでいる心のなかというのは、もつれてこんがらがった糸のかたまりのようなもの。それには、ゆとりをもって、焦らず、力を入れずに少しづつ糸を緩めるようにして、ほぐしていきます。もつれた糸の状態に耐え切れず、無理に引っ張ると余計ひどくもつれたり
どうしようもない状態になります。だから、丁寧に、どこの糸がどの糸と不自然にくくりあっているかを、丁寧に確認しながらほどいていくのです。
ほどいていくのは、あくまでクライエントです。カウンセラーは、クライエントのほどき方を見ながら「その糸は、そっちのなかへくくるといいかも」など、邪魔にならない程度の加減で一緒に見ていきます。時々まちがえて、邪魔をしてしまうこともありますが・・。

            ねこ


だいたいこんなところが、カウンセリングの土台でしょうか。
こうやって、なるべくきちんと伝えようとすると、カウンセリングとはイメージとはちがってやけに地味、地道な作業と見えるかもしれませんね。でも、『心』というとても繊細で、誰にとっても大切なものを扱うわけですから、地味なプロセスこそが安全で確実な方法と言えるかもしれません。

今日は、カウンセリングの土台部分について、お話をしてみました。
土台ですから、私独自のカウンセリング技法の全体像ではありません。
しかし土台は、全体を支えるもっとも重要な根幹部分です。ですから何かとカウンセリングに対して不安や誤解をお持ちの方が多いので、きちんと説明をしようと思い、つい長々と書き綴ってしまいました。お分かり頂けましたでしょうか。

私のカウンセリング理論の立場や技法は、また次の機会にじっくりご紹介しようと思います。
まあ、それもまたかなり専門的なお話になりますから、希望される方だけにじかに時間をとってゆっくりお話をしても、いいかもしれないですね。

今、お悩みをお持ちで、またきつくなっていたり、混乱している方は、こんなカウンセリングの体験をして、自分の心をゆっくり眺めてはいかがですか?

あなたらしい答えが見つかるように、ちょっと後ろのほうを歩きながら、支えていきます。

どうぞ、ご気軽に連絡をください。


長々とした今日のお話、ここまで読んでくださってありがとうございました。

category: カウンセリングの土台

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