希望 ~ 岩手より その3 
2011/06/07 Tue. 19:52 [edit]
東北地方沿岸で、3月11日に大地震が起きました。
巨大な津波が発生し、沿岸の町を襲い破壊していきました。
私が今回、一時勤務した学校の生徒や教員の家も、多くが流され壊れてしまいました。
いま現在も、避難所生活を続け、避難所から通学する子どもたちがたくさんいます。先生や子どもたちは毎日、壊滅した自分の町を通りながら、学校に通っているのです。
その様子を見ている子どもたちの心はどんな状態なのでしょうか。
想像すると、とても痛ましく、悲しくなってきます。
自分が生まれ、住んでいた町が無くなり、家族を失った子どもたち。
その子どもたちは、毎日毎日欠かさず学校に通い続けています。
学校に来て、友達や先生と会い、遊んでいます。
そんな子どもたちを前に、私は何を話せば良かったのでしょうか。
私の授業では、子どもたちが今回の震災を経験し、どのような思いで学校に来るようにしているのか。
そのことを子どもたちの心で分かるように話し、そして未来に向けて、震災で経験したことが大人になったときどのように生きるかを話しました。
6年生のクラスです。
「君たちは、大地震が起きたときから、ほんとうによく頑張ってきたね。怖かったね。悲しかったね。苦しいね。でもそういう嫌な気持ちを持ちながらでも、なんとか学校に毎日来て、頑張っているね。偉いね」
「でも何のために自分が頑張っているのか、自分で分かっている?」と質問すると、一瞬沈黙しました。そして、数秒後に一人の男の子の手が上がります。
「新しい町を作るため!」と元気良くこたえました。
聞いていた先生たちが、驚いたようにどよめきます。
そして話は未来へとすすんでいきます。
「君たちは、これから先生たちみたいに大人になっていく。今回の大震災のことは、きっと忘れないでしょう。今は本当につらいかもしれない。でも大人になったとき、あの地震を経験したから自分は優しくなれたとか、しっかりするようになれたとか、人の痛みとか悲しみがわかるようになった、ということが必ず分かるときが来ると思う」
失ったものは果てしなく大きいかもしれない。
でも・・でも・・
この震災によって、子どもたちが誰も教えてくれないような大事なものを得たことも確かなことでしょう。
そう子どもたちに教えていくのが、大人の義務であり、どのような悲しみに出会おうとも、その果てにはかならず希望の光があることを語って聞かせていくこと。
震災支援によって、私が伝えなければいけないことはこれだったんだと気づきました。
最終日、3年生のクラスで授業を行いました。
「いろんな人と仲良くなろうね。友達になろうね」
「悲しみを乗り越えていくためには、『僕はいろんな人とつながっているんだ』という気持ちを大事にしていくこと」と話すと、一人の男の子が立ちあがって、私を指さし、
「じゃあ、先生ともお友達になっていい?」
「もちろん!友達になろうよ」
という話に進み、担任の先生がこのやりとりを面白そうに見ていて、
「じゃあ、カウンセラーの先生に質問したいこと!」
と子どもたちにふります。
「先生、彼女はいるの?」
こんなおっさんになんつー質問するの。
とか、「趣味は何?」
「学生時代、何人の女の人にふられましたか?」
とか、わけのわからん質問が飛び出す飛び出す。クラスに笑いの渦が巻き起こり、大盛り上がり。
途中で時間が来てしまい、
担任の先生のはからいで、そのままみんなで校庭になだれ込み3年生クラスと私で写真を撮りました。
そして、クラスのみんなと一人づつ握手をして、そのまま学校に別れを告げました。
帰り道、おさえていた感情が噴出し、とめどなく涙が出てきて、しばらく収まりませんでした。
この岩手の被災地での活動は、生涯忘れないでしょう。いや決して忘れたくはありません。
被災地で活動した記憶、子どもたちの笑顔は、私の確かな希望の光として、これからもずっと支えてくれることでしょう。
巨大な津波が発生し、沿岸の町を襲い破壊していきました。
私が今回、一時勤務した学校の生徒や教員の家も、多くが流され壊れてしまいました。
いま現在も、避難所生活を続け、避難所から通学する子どもたちがたくさんいます。先生や子どもたちは毎日、壊滅した自分の町を通りながら、学校に通っているのです。
その様子を見ている子どもたちの心はどんな状態なのでしょうか。
想像すると、とても痛ましく、悲しくなってきます。
自分が生まれ、住んでいた町が無くなり、家族を失った子どもたち。
その子どもたちは、毎日毎日欠かさず学校に通い続けています。
学校に来て、友達や先生と会い、遊んでいます。
そんな子どもたちを前に、私は何を話せば良かったのでしょうか。
私の授業では、子どもたちが今回の震災を経験し、どのような思いで学校に来るようにしているのか。
そのことを子どもたちの心で分かるように話し、そして未来に向けて、震災で経験したことが大人になったときどのように生きるかを話しました。
6年生のクラスです。
「君たちは、大地震が起きたときから、ほんとうによく頑張ってきたね。怖かったね。悲しかったね。苦しいね。でもそういう嫌な気持ちを持ちながらでも、なんとか学校に毎日来て、頑張っているね。偉いね」
「でも何のために自分が頑張っているのか、自分で分かっている?」と質問すると、一瞬沈黙しました。そして、数秒後に一人の男の子の手が上がります。
「新しい町を作るため!」と元気良くこたえました。
聞いていた先生たちが、驚いたようにどよめきます。
そして話は未来へとすすんでいきます。
「君たちは、これから先生たちみたいに大人になっていく。今回の大震災のことは、きっと忘れないでしょう。今は本当につらいかもしれない。でも大人になったとき、あの地震を経験したから自分は優しくなれたとか、しっかりするようになれたとか、人の痛みとか悲しみがわかるようになった、ということが必ず分かるときが来ると思う」
失ったものは果てしなく大きいかもしれない。
でも・・でも・・
この震災によって、子どもたちが誰も教えてくれないような大事なものを得たことも確かなことでしょう。
そう子どもたちに教えていくのが、大人の義務であり、どのような悲しみに出会おうとも、その果てにはかならず希望の光があることを語って聞かせていくこと。
震災支援によって、私が伝えなければいけないことはこれだったんだと気づきました。
最終日、3年生のクラスで授業を行いました。
「いろんな人と仲良くなろうね。友達になろうね」
「悲しみを乗り越えていくためには、『僕はいろんな人とつながっているんだ』という気持ちを大事にしていくこと」と話すと、一人の男の子が立ちあがって、私を指さし、
「じゃあ、先生ともお友達になっていい?」
「もちろん!友達になろうよ」
という話に進み、担任の先生がこのやりとりを面白そうに見ていて、
「じゃあ、カウンセラーの先生に質問したいこと!」
と子どもたちにふります。
「先生、彼女はいるの?」
こんなおっさんになんつー質問するの。
とか、「趣味は何?」
「学生時代、何人の女の人にふられましたか?」
とか、わけのわからん質問が飛び出す飛び出す。クラスに笑いの渦が巻き起こり、大盛り上がり。
途中で時間が来てしまい、
担任の先生のはからいで、そのままみんなで校庭になだれ込み3年生クラスと私で写真を撮りました。
そして、クラスのみんなと一人づつ握手をして、そのまま学校に別れを告げました。
帰り道、おさえていた感情が噴出し、とめどなく涙が出てきて、しばらく収まりませんでした。
この岩手の被災地での活動は、生涯忘れないでしょう。いや決して忘れたくはありません。
被災地で活動した記憶、子どもたちの笑顔は、私の確かな希望の光として、これからもずっと支えてくれることでしょう。
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category: 被災地支援活動
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