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ぶどうの木のあれこれ

カウンセリングルーム『ぶどうの木』へようこそ。

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別れ  

2月も後半になりました。

もう少しで3月。  3月の予定を載せています。

梅が見ごろを迎えています。 大倉山公園の梅の花は満開までもうすぐ。

春爛漫の桜もいいですが、冬の終わりを告げるかのように、寒空にけなげに咲く梅の花もまたいいものですね。


2015-02-20_09-01-52_322.jpg


これからの時期、新しい出会いと別れの時期ですね。

人と人とが新しく出会う。
「出会い」は美しいものです。

「別れ」というものも「出会い」以上に、実は美しいものと感じています。

井上靖さんは、「別離」というエッセイのなかでこんなことを言っています。

楠木正成は、息子の正行と別れをする際、ふたりは五月の青葉茂る木々の間から差す陽光に照らされていた。

現代は、誰かと別れるという機会が全く少ない。

こんなような内容から始まります。

さまざまな出会いと、良き別れがもたらした忘れ得ぬ記憶について綴っています。

そしてこんなエピソードも記しています。

ヒマラヤの麓を歩く旅に仲間と出かけたとき、登山者の案内と世話をするシェルパとの出会い。シェルパたちは、みな地元ネパールの少年たちだったそうです。
実に良く働き、黙々とこまごまと、登山者のしもべとなって実に丁寧にその役割をこなしたというのです。
そして、旅の最終日、井上氏ら一行はシェルパたちと別れるときがやってきます。
別れの際、少年たちは、それぞれの「主人」の前にやってきて、黙ってひざまずき、しばらく目を閉じて合掌したということです。

雄大なヒマラヤを背にして、旅の帰路の安全を祈る少年たちの姿は、まるでこれからの人生を祈ってくれているかのような、神々しい感動を覚えたといいます。

きっと彼らとは二度と会うことはない。
だからこそ、かけがえのないの記憶となって生きる。


宮崎駿さんの「風立ちぬ」という映画では、低流にあるテーマは「別離」であると感じました。

二郎と菜穂子。
戦争と震災、そして結核という病気。
どうにも逃れることができない、厳然と先に立ちはだかる別離を二人は自覚していたからこそ、いまの出会いと愛を慈しむように大切にしたのだと思います。その姿はとても悲しくも美しいものでした。

宮崎さんは、「この時代は人と人とが永遠に別れるという事態があたり前のようにあった」と話しています。


私たちのこの日常においては、もう二度と会えないという別離の機会はとても少ないです。

本当は別れる機会なのに、別れようとはしないこともあり、もうすでに別れているのに、そう自覚しない。

ちゃんと別れることができないと、「しがみつく」という事態がやってきます。
これは別れること以上に苦しいものです。

別れというものは、悲しいものです。

そして美しいものです。

ちゃんと別れるべき時に別れることができたら、かの日の記憶は、これから自分が生きる大切ないのちとなるはずです。





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春へ  

まだまだ寒いですが、もう一息で春ですね。

春の訪れをいちはやく感じたいと思い、かわいらしい蕾つきの桃の木を飾りました。

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大倉山公園の梅園を少し散策しに・・。
咲いてる、咲いてる!

さわやかな青空に映える紅梅。
見事です。

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圏内  

2月になりました。

予定表を載せていますので、ご確認ください。

節分をむかえ、もう暦のうえでは春。
まだまだ厳しい寒さが骨身にこたえますが、外をよくよく見渡すと、木々の蕾がふくらぎはじめ、あちらこちら、けなげに花を咲かせてる姿も目にします。
  


 梅 


    
さて、先日は地元の福祉団体と社会福祉協議会のバックアップで研修会を行ない、お話させて頂きました。
もうすぐ東日本大震災から4年を迎え、さらに阪神淡路大震災から20年が経ちます。
そこで、災害とストレスをテーマにしてお話しました。
主な内容は、災害による外傷後ストレス、ストレス障害とそのケアやかかわりの仕方についてお話ししました。
ストレス状態が続く心のしくみの理解と、治療について少し専門的に。


研修 


この研修会を終えたあと、災害や、また昨今起きている様々な悲しい出来事について、つらつらと考えました。

昨年の後半、福島から神奈川へ震災と原発事故によって避難されてきた方々とお会いし、グループで語り、気持ちを分かち合う時間を持ちました。

県外に避難して、外から福島県の問題、原発事故や放射能汚染の問題を見つめ続けている人々でした。
地元福島から離れ、あえて「圏外で生きる人々」です。
しかし、「圏外で生きる人々」の語られる言葉には、こうやって離れているからこそ、故郷、住み慣れた緑豊かな町への思いがとても強く、悲痛で、追慕する気持ちが色濃い。圏外にいるこそ、色々なものが見えてきて、喪った故郷を取り戻そうと懸命に取り組んでいます。
苦しみの中に敢えて自らとどまり、真実をみて、新しいものを生み出そうとしています。
そういう意味では、こうした物理的には「圏外にいる人々」も、精神的には「圏内に留まり続けている」と言えます。

圏内で生きること、圏外で生きること。
しっかり考えようとすると、その境界線の基準は分らなくなってしまいますが、その重要なファクターの一つとしては、当事者意識でしょうか。
じかにある問題そのものには触れていませんが、それを自分のこととして捉えようとする問題意識。
そういう意識を持つことは、「圏内で生きようとすること」に通じるのかなと思います。

災害におけるPTSDしかり、私たちは、様々な苦しみのなかで生きねばなりません。
心の痛みや傷はとても苦しく、持ち続けていくことは辛いのですが、その圏内に居続けていることによって、大切なものを見つけることもできます。
そして、苦しみのなかにある本人の周りの身近な人。その人々も圏内に入ることが大事です。
本人の苦しみのエリアに入り、そっと共に居続ける。本人と同じものを見ようとする。
そこに居続ければ、きっと大事な部分が見えてくるような気がします。

私もあえて圏内に居続けるということに意識がもっと持てたらいいなと感じています。


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